2023-03-02 自分を後回しにする、陽がのびてきた
大使館でパスポートを受け取る。
前回はカナダへ行くために作成したのだった。写真は家で撮ったものを使って、…友人二人と行ったけれどあまり覚えていないな。楽しい雰囲気だったのか、心の内で自分が何を考えていたのだったか、もうすっかり忘れた。申請は3月だったから白馬から帰ってきてわりとすぐに用意したのだな。そのあと5月までどう過ごしたのだったか思い出せないし、それをいうなら町田でどういうふうに日常を送っていたかもよく思い出せない。仕事のない日には私は何をしていたのだろう。読むでもない、稽古もあまりできなかった。自分の時間をうまく取ることができずにいたのだろう。
今でも私は人がいると自分のために集中することがなかなかできない。締め切りがあったり仕事があったり人との約束があったりすればそちらに針を振ることができるが、自分のための時間ができても好きに過ごすことに罪悪感を覚えたり、自由な時間をつくりやすい自分のほうが相手に譲るべきなんじゃないかと生活のリズムを人に合わせることばかり考えてしまう。
そこにいる人にすぐ反応できるようにいつも少し腰を浮かしているような感じ。
本を読んだり勉強したり夕方の空を眺めたり、自分にとっては確かに大切なのだけれど、まわりを見渡してみれば何の役にも立たないこと、何も生み出さないことをしているように思われて、楽しくいることをなかなか優先できない。
私には直接自分を痛めつけるような行動はあまりないが(焦ったり気持ちが追い詰められたようになると手をきつくいじったり服を小さく折りたたんだりしてしまうけれど、その程度)、自分だけはどんなに我慢させても良い、自分はどんなひどい環境にいたってへっちゃらだ、という風に自分を後回し…というか下のほうに置こうとする傾向がある。
自分を極度に外に出そうとしないのもある意味では軽い自虐なのかもしれない。
町田のことと並べて書いたけれど、単に関連して思い出しただけで、私には常にそういう性質があって何かその時期のトラウマがそうさせているわけではない。
自分は歪んだ部分もあれど健康だし家族関係も問題なし、信頼できるひともいるし、やりたいこともたくさんある、今すぐ飢えるほど貧乏でもない。それなのにこうしてほじくり返すと隠れたからまりがごちゃごちゃと引きずり出されるものだ。
日没の位置がまいにち移動して、空が紅く染まっている時間が長くなった。
今も飛行機が2機並走して、短く細い針のような雲を残している。
アイスランドの空はいつも夕焼けだった。またあの空気の色を見たい。
アイスランドもゴットランドも空気がほどけたときの匂いをかいでみたい。